山東省の特産品~歴史と伝統にふれる旅~

ワイン・美酒に酔う煙台 張裕酒文化博物館

張裕葡萄酒は1892年に設立され、現在までに100年余りの歴史があります。多くの人々が、「張裕」は創始者の名前であると思っていますが、実際にはそうではありません。創始者は、張弼士と言う名前で、ブランド名「張裕」の由来は、姓に豊裕興隆(=豊かになる、繁盛するの意味)を代表する「裕」の字を加えたもので、これ以降「張裕」葡萄酒は繁盛し続け、100年にわたり伝承され、今なお人気を博しています。

張弼士

張裕がワイン事業に資金を投入したのは、張弼士が東南アジアで出世した時に、オランダの友人の招きを受けてジャカルタのフランス領事館のパーティーに参加し、フランスワインの美味しさを知ることができたからです。そのパーティーで、フランス領事が「第2次アヘン戦争の期間、英仏連合軍が煙台に駐留した時、山中に大量の野生のぶどうがなっているのを発見し、携帯式のアルコール製造機で果汁を絞って葡萄酒を作り飲んでみたところ、風味が特別によかった。そのため、フランス籍の兵士は煙台に残って酒造りをしたいと考えたものの、残念ながら戦争のためにうやむやになってしまった」と話しました。

張弼士がこのワインの話を心に刻んでから2年余り経過した頃、中央の高官の仲介の下、「張裕」は1892年についに開業しました。光緒帝の先生を務めた翁同龢を特別に招き、字句を書き記してもらい、さらに西太后の60歳の誕生日の時に、張弼士は「実業興邦(=事業が発展しているという意味)」企業家の名で銀を30万両(=150kg)献上して都を沸き立たせ、併せてモンゴルの皇帝に3回謁見したことが美談として伝わっています。

仮に、張裕葡萄酒が地位の高い高官や皇帝の親族・親戚にのみ楽しまれていたならば、100年の老舗になることは容易ではありませんでした。ですが、紅頂商人(=企業経営と党や政府機関の要職を兼務する人)である張弼士は、どうしてもワインを輸出ブランドにしたいと考え、大金をはたいて外国籍の醸造士を招聘しただけでなく、ワインの品質、桶と酒蔵の条件などについて十分な研究を行いました。そのため、張裕の造ったワインは、中国と西洋の血が混じっているだけでなく、西洋のものよりも優れたところがあり、中国八大名酒の1つに数えられています。

飲む。見る。作る。ワインの楽しみは無限大!

時代の進歩にともなって、張裕葡萄酒は、酒造りという本業の上で絶えず進歩を求めただけでなく、近年さらに、アジア全体で唯一の国際葡萄酒酒城(=国際ワイン城)―張裕酒文化博物館を設立しました。張裕酒文化博物館では、酒蔵の中にプロのソムリエを配置してきき酒の楽しみを提供しているだけでなく、さらに瓶詰め、ラベル貼りの過程を自ら体験できます。

館内に展示してある酒製品の中で最も人気があり、名声を博している4種類の葡萄酒は次の通りです:可雅白蘭地、雷絲令白葡萄酒、紅玫瑰白葡萄酒、味美思葡萄酒(八大ワインの1つ)。酒蔵の中ではさらに、館を鎮める宝として、100年以上経過している3樽の酒樽を陳列しています。2階ではマスター級の3種類のワイン、品重醴泉、37解百納及び圭頓貽謀を見学、購入できます。

これ以外に、見学客は自分の写真を使ってオリジナルの記念酒を作ることができます。酒の種類は、ブランデー、ワイン、スパークリングワインなど20種以上の中から自由に選択ができ、価格は人民元48~100元まで様々です。煙台に来た際には、張裕酒文化博物館を訪れて、オリエントで生まれたこの西洋の美酒を味わい、百年の歴史を持つ様々な味の一杯を飲むことを忘れないでください。